お世話になります。RSY事務局です。第9報以降は足湯や在宅避難者の個別訪問等でお聞きした被災者の「つぶやき」を中心に順次ご紹介致します。これら一つひとつの声から個別に必要なお手伝い、全体として対応が必要な生活課題を整理し、できるところから対応を進めています。震災から2か月が経ち、様々な心情が交錯する穴水町の今をご覧下さい。
(2024/2/13 女性・70代)
白内障手術したけど良くならない。主人は癌で亡くなった。孫が金沢に住んでいてお風呂はそこで入っている。小学生の孫は穴水に住んでいるが、お父さんが役場務めなので昼夜のご飯はここに食べに来ることもある。ご飯はやっぱり温かいのが良い。お菓子やカップラーメンは好きではない。
(2024/2/13 男性・40代)
親子で避難所に来ています。新聞の販売所で働いていて、1月3日から仕事をしてる。家は、屋根が雨漏りがひどく、最近ブルーシートを掛けてもらえだけどまだ住める状態で無いので困っている。
(2024/2/13 男性・70代)
家はもうダメだねぇ。でも珠洲は前の地震で、家を建て直してローン借りて、また今回も潰れたからもう借金まみれだね。炊き出しはあまりないけど、プルートで食べたそばが美味しかった。アルファ米ばかりで飽きた。
(2024/2/15 男性・70代)
足湯は3回目。俺は、バカだからそんなに落ち込まずにいられてるなぁ。こんな状況、笑ってないとやってられないや。1ヶ月間避難所で生活していて、その時はよく夜起きていたけれど、今は自分の家に戻り、夜7時には寝ちゃうくらいぐっすり寝られてる。自分で屋根を直したがためにリ災の申請はおりたけど(中規模半壊)、お金が出ないと言われた。業者にやってもらわないとダメなんだね。自衛隊の入浴は3回くらい行った。でも時間が短いからあまり行かないなぁ。
(2024/2/15 女性・90代)
足湯は3回目で毎回楽しみにしている。この避難所も前はもっと人がいたが、だいぶ人数が減っている。仮設住宅の申し込みをしているが、当たらないのではという不安がある。生まれてからずっとこの地域にいるので離れたくはない。初めての足湯のときにプレゼントされたベストと帽子を大事にしている。
(2024/2/15 女性・80代)
足湯が来ると聞いて嬉しかった。避難所から家に戻っているが、1人で暮らしていると考えが内向き、マイナスになってしまう。今後この避難所が閉鎖となったら足湯も行われなくなるのか?足湯の場でおしゃべりをできることがありがたいので、今後も続けて欲しい。昨年10月に夫、兄を立て続けに亡くしてどうして良いか分からなかったが多くの人と話していると頑張ろうという気持ちになる。
(2024/2/16 男性・60代)
家が全壊の判定で、林業センターに避難してる。以前は町場で寝泊まりしていたが、2月からこちらに来て林業センターの方が生活はしやすい。でも、明かりがあると寝れない時がある。近所の人と一緒に生活していて仲良し。これから2年は仮設に住んでその後どうしよう。どこに行けばいいんだろう。
(2024/2/16 女性・70代)
地震が来てから3回場所が変わっている。元から不眠気味だったが、周りの人の音やいびきで眠れず睡眠薬を飲んでいる。地震の時は、家にいてとても怖かったが、一瞬止まったタイミングで家の外にでて、車で丘まで上がった。その後車中泊になった。家は、半壊の判定だったが家を壊して金沢市の仮設に入る予定。娘の家が目と鼻の先で近くに住めるので嬉しい。そうとでも考えないと前向きに考えないとやってられない。
(2024/2/16 女性・70代)
足を1月中旬に骨折した。1週間前に歩いていいと言われ今日は自宅と買い物など色々行って来た。2007年の能登の地震で全壊になった。今は、災害公営住宅に住んでいたが、家がめちゃめちゃで水が通らなかったので避難所にいる。公営住宅に住み続けたいから何とかして自力で掃除をしたが、壊れた冷蔵庫は出すことができずまだ家においている。いつかボランティアに頼みたいが、もっと助けが必要な人がいると思うのでもう少ししてからにしようと思う。
(2024/2/16 女性・80代)
震災前に子供に金沢で一緒に暮らそうと言われ、暮らしたが難しく家に戻って来たら、地震にあってしまった。自分の運命を呪いたい。家は猫が出入りできるほど、壁に隙間が出来てしまい悲しい。家はもうダメだと思う。足湯は勿体無いくらいだ。
(2024/2/16 女性・70代)
土砂が家の中に入ってきた。近所の人が助けてくれた。(腰の手術をしたのであまり歩けないので)でも腰は良くならない…脊柱管狭窄症。もう楽しいことはない。これまでずっと能登で暮らしている。出たことがない。昔は総合病院の食事を作っていた(100何十人分)朝も早くて遅番で夜も遅くて、もう1回勤めるのは大変なので無理。手が温かくなってきた。ありがとう。あなたのお母さんも大事にしてね。
(2024/2/16 男性・80代)
ここから2kmくらいのところに住んでいる。牛乳とかヨーグルトとか食べたい。食事は味が濃くて...でも食べんとな。元日は大変だったな。家内は昨年亡くなったわ。病気でな。くつ下なんか履かせてもらったわ(笑)妻にもそんなことしてもらったことないわ(笑顔)
(2024/2/16 女性・20代)
小学校に用事があって、ついでにおばあちゃんを見に来ただけです。おばあちゃん、足湯をしてもらって嬉しそう。私も看護学生なのでよくわかります、家は半壊、赤紙、でも自分達が寝る位は大丈夫。お父さんは仕事で帰ってこないから、家に男手がなくて困ってる。(ニーズ調査を話したら)一回、社協さんに電話したら、赤の家には入れないからと言われて終わった。確かに危ないのほわかるけど、黄色や緑色の家は片付いて行くのに、赤は何もできない。家は壊して建て替えるのだけど、それにも大事なものは残したいから運びたいけど、男手がないから。今はおじいちゃんがやってくれているけど、おじいちゃんもかわいそうで。
(2024/2/16 女性・60代)
避難所では夫を小さい頃から知っているお隣さん達と仲良くやっている。家は全壊状態で娘から記念写真やアルバムは取り出したいと言われたけど別に取り出さなくていいよと話す。グチャグチャなので難しい状況であるし、やる気が出ない。取り出しても整理したくない。
(2024/2/16 女性・40代)
中学生の娘がいる。もう受験の時期だから心配。学校は1月半ばから再開。小・中・高が同じ学舎になっている。娘はオンラインだと質問ができないということで、毎日学校に行っている。地震後は土砂で車が出せなくて苦労した。土砂をどかすことができて、やっと車を取り出すことができた。車体はボロボロだが運転は問題ないので、車が使えるようになってから生活の幅が広がった。輪島の親戚の家にも行ける。職場の輪島も被災。保育の仕事をしているが、そちらの職場の再開の目処は立っていない。
(2024/2/17 女性・80代)
阪神淡路大震災と去年の地震、これで3回目、これ以上地震にあいたくない。子供は離れていて一人で暮らしている。
(2024/2/17 女性・80代)
手足が温いとゆっくり眠れるからうれしい。それ以外は言ったらだめだと思う。
(2024/2/17 女性・70代)
二次避難所へ行くといいよという人もいるけれど、こちらなら周りの人がいて助けてくれるので、二次避難所へ行きたくない。そんなところへ行ったら、お父さんを世話する私もお父さんも、一番初めに倒れてしまうわ。だから私たちはここにいることにした。
(2024/2/17 女性・80代)
穴水が好きでここにやってきた、息子たちは東京にいる。地震があって生きていることは伝えたがそれ以上は何も言っていないし、言いたくない。隣の人も家が壊れて住めなくなっているが、声をかけても知らん顔されている。穴水には友達がいなくて私は一人ぽっちなの寂しいわ。
(2024/2/17 女性・40代)
汚い足で申し訳ないです。足がカサカサになってきてる。非常ベルのテストをやっていて、もうびっくりするの。夜になると、入口にあるジェットヒーターが消えるので、消えたあとがとーっても寒くなって、トイレに行きたくなるのがいやー。だって暗いし足元あぶないし不安。
(2024/2/17 女性・40代)
家族は父と二人なんです。でも父はここでは全く無理なので、急遽施設に行きました。なのでここには私一人なんです。周りの方がとてもよくしてくれるので、何も困っていることはありません。
(2024/2/17 女性・70代)
美容院をやっていたんだけど、もうやれないわ。75歳になったしお金をかけて店をやっても仕方ないしね。でも近所の人があんたとこしかないから、やめんどってと言われると・・・でもやったとしてもカットぐらいかなあ。年末に忙しくて自分の頭をやらなかったの(白髪染め)そしたら地震でしょ、もう忙しくてもやっときゃよかった(笑)子供が帰ってきたからおせちを作ったでしょ、丹波から豆を送ってくれたからそれも作ったし、売ってるおせちは子供が食べないのよ。お正月だから折角おせち作ったのにぜーんぶだめ。おせちとお餅を食べたからお昼は食べずに、夜でいいよねって話していたのに・・・こんなことになるなら食べときゃよかったぁとみんなで後悔したよ。
(2024/2/17 男性・70代)
私が住んでいた地域では16人が亡くなった。この避難所には150人避難してきて、初めに来た自分が窓を割って入ったんだ。毛布を各自に渡し、自分は外で火を焚き、暖をとり過ごした。
(2024/2/18 女性・50代)
静岡県富士宮市出身、磐田市や浜松市に知り合いがいっぱいいる。安否確認を表す黄色いハンカチを使った防災訓練などをしてきた。穴水に来て防災士になってみんなに”黄色いハンカチ”などを取り入れた防災訓練をしようと何回も言ってきたけど、全然受け入れられなかった。何年たっても私らはよそもんで、言うことなんて聞いてくれん。今度のことも黄色いハンカチの訓練をしとったら、無駄に時間を使うことなかった。
(2024/2/18 女性・不明)
娘が名古屋にいて電話してくれる。家は代々続く古い家で、自分の代でつぶしてしまっては申しわけない気持ちを持っていたが、娘が「お母さんの体が一番。家はつぶしていいよ」と言ってくれたことが肩の荷が下りて楽になった。
(2024/2/19 女性・70代)
人生の中でこんあことが起こるなんて思ってもいなかった。寝泊まりはここでしているが、日中、家の片づけに行く。だけどどこから手を付けていいのかわからない・・。みんなで協力しているから頑張れる。
(2024/2/19 女性・70代)
昨年、右手の腕を手術した。今お風呂は近くの病院へ入りに行っている。しょっちゅうは行けない。シャワーが入り口にあるがしっかりとお湯につかりたい。ミシンの会社で働いて3人の息子を育てて税金も納めてきた。誰も褒めてくれないから、自分で褒めている。今回の被災は3回目。1回目は阪神淡路。2回目は平成19年能登を経験。
(2024/2/19 女性・70代)
昼間は家に居て片づけをしている。2-3時間片付けて周りを見ると全然片付いていないので気が滅入ってしまう。それでも、今日は穴水中学校で炊き出しのお餅を食べる事が出来たのでうれしかった。
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